
2026年6月17日に参議院本会議で「民法等の一部を改正する法律」が可決・成立し、同月24日に公布されました。
この改正で、いわゆる「デジタル遺言書」という新しい遺言方式が創設されます。
遺言の方式が新たに設けられるのは、大きな制度変更です。
ただし、この報道には注意すべき点が二つあります。
一つは、新制度がまだ使えないこと。
もう一つは、「手書きの遺言がパソコンで作れるようになる」という理解は、正確ではないことです。
本記事では、今回の改正で何が変わり、何が変わらないのかを整理したうえで、施行を待つ間に何ができるのかまでを解説していきます。
Contents
今回の改正のポイント
今回の改正で遺言制度に加わる変更は、大きく以下の三つです。
①新しい遺言方式である「保管証書遺言」(通称デジタル遺言)の創設
パソコンやスマートフォンで作成した遺言を、法務局が保管する新しい方式です。全文を手書きする必要がなく、自筆証書遺言と公正証書遺言の中間にあたる選択肢が加わります。本記事で詳しく解説する制度です。
②自筆証書遺言などにおける押印要件の廃止
これまで自筆証書遺言などには署名に加えて押印が必要でしたが、この押印が不要になります。印鑑を押し忘れたために遺言が無効になる、といった事態が避けられます。
③緊急時に作成する特別方式の遺言における、録音・録画を用いる新しい方法の追加
病気やけがで死期が迫っているときなど、通常の方法で遺言を作れない緊急時に用いる「特別方式」の遺言に、録音・録画を使う方法が加わります。手書きが難しい状況でも、映像と音声で意思を残せるようになります。

一方で、変わらない部分もはっきりしています。
自筆証書遺言の「全文・日付・氏名を自分で書く(自書)」という基本ルールは、これまでどおり維持されます。
また、すでに作成した自筆証書遺言や公正証書遺言が、この改正によって無効になることもありません。
今回の改正は、既存の方式を置き換えるものではなく、新しい選択肢を追加し、一部のルールを緩和するものだからです。
注意するポイント
報道の見出しから、「自筆証書遺言がパソコンで簡単に作れるようになる」と受け取ってしまう方がいますが、これは誤解です。
後述しますが、保管証書遺言制度を利用する場合は、法務局の関与が必要となります。
自分ひとりで書いて自宅で保管まで完結できる自筆証書遺言を選ぶ場合は、施行後も全文の手書きが必要です。
デジタル遺言(保管証書遺言)とは何か

「デジタル遺言」は報道などで使われる通称で、改正民法上の正式名称は「保管証書遺言」です。
これまで普通方式の遺言は、自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言の三つでした。
保管証書遺言は、そこに加わる四つ目の方式にあたります。
もっとも秘密証書遺言はほとんど使われていないため、実務上は「自筆証書・公正証書に並ぶ新たな選択肢」とも捉えられます。
なお、混同しやすい制度に、2025年10月から始まった「公正証書遺言作成手続きの一部オンライン化」があります。
これは保管証書遺言とは別の制度になるので、注意しましょう。
「データを作成・保存しておくだけ」で適用される制度ではない
名称から、パソコンで作った文書を保存しておけば有効になる制度と思われがちですが、そうではありません。
作成したデータを法務局に預け、所定の手続きが完了することで、初めて遺言としての効力が生じます。
また、デジタル遺言と聞くと、自宅にいながらスマートフォンやPCの操作だけですべて済むように思えますが、実際には法務局への保管申請と、保管官の前での口述が必要です。
口述はウェブ会議による方法も想定されていますが、いずれにせよ法務局とのやり取りは避けられません。
「作成」の部分がデジタル化される制度であって、手続き全体が自宅で完結するわけではない、と理解しておきましょう。
何のために作られたのか
大きな背景にあるのは、高齢化の進行です。
相続をめぐる親族間の争いは年々身近なものになっていますが、それを防ぐ有効な手段である遺言は、いまだ十分に普及しているとは言えません。
国としては、遺言を作りやすくすることで、こうしたトラブルを未然に減らしたいという狙いがあります。
そしてもう一つ、制度面の背景にあるのが、自筆証書遺言が抱えてきた負担です。
全文を手書きするのは、高齢の方や手が不自由な方にとって大きなハードルでした。
かといって公正証書遺言は、公証役場での手続きや証人の手配、費用の負担が伴います。
保管証書遺言は、手書きの負担をなくしつつ、公的機関の関与によって自筆証書遺言と同程度の信頼性を確保する、その中間を狙った制度といえます。
デジタル遺言のメリット
保管証書遺言には、これまでの遺言の弱点を補ういくつかの特徴があります。
手書きの自筆証書遺言と公正証書遺言の”いいとこ取り”を狙った制度、とイメージすると分かりやすいでしょう。
手書きが不要
全文を書く負担がなく、高齢の方や手が不自由な方でも作成しやすくなります。
法務局が保管する
自宅で保管する自筆証書遺言のような、紛失・改ざん・隠匿のリスクを避けられます。
検認が不要
相続開始後に家庭裁判所で行う検認手続きがいらず、遺された家族の負担が軽くなります。
費用を抑えやすい
手数料は今後定められますが、法務局が扱う制度のため、公正証書遺言より低く抑えられる見込みです。
保管証書遺言の作成手順

具体的な流れは、大きく五つのステップに分かれます。
細部は今後定められる政省令によりますが、法務省の法律案要綱から次のような手順が示されています。
①遺言の全文を作成する
パソコンやスマートフォンなどで全文を作成します。
書面でも電子データでも構いませんが、電子データで作成する場合は、全文に加えて氏名も記録する必要があります。
②署名(またはこれに代わる措置)をする
作成した証書に署名します。
電子データの場合に、署名に代わるどのような措置(電子署名など)が必要になるかは、今後の法務省令で定められる予定です。
③法務局へ保管を申請する
遺言書保管法にもとづき、法務局(遺言書保管所)に保管を申請します。
④保管官の前で全文を口述する
本人の真意を確認するため、遺言書保管官の前で遺言の全文を口述します。
ここは単なる本人確認ではなく、遺言が成立するために欠かせない「方式要件」である点が重要です。
申出があり保管官が相当と認めた場合は、映像と音声で相互に確認できる方法、つまりウェブ会議による口述も認められる仕組みとされています。
なお、話すことが難しい方は、
・通訳人による申述
・筆談
が認められます。
また、遺言に相続財産の目録が含まれている場合は、保管官がその目録を遺言者に閲覧させるなどの措置をとることで、目録部分の口述を省略できる特則も設けられています。
財産の一覧を最初から最後まで読み上げる必要はない、ということです。
⑤法務局で保管される
以上を経て法務局に保管されることで、遺言としての効力が生じます。
⑥撤回や書き直し
一度作った遺言は、その後の事情の変化に応じて何度でも書き直せます。
これは保管証書遺言でも変わりません。
財産の構成が変わったり、家族関係に変化があったりした場合は、あらためて作成し直すことになります。
保管の申請自体を撤回して返してもらうことも可能です。
現行の2方式との違い
実際に検討されることの多い自筆証書遺言・公正証書遺言と、新設の保管証書遺言を比べると、次のように整理できます。
| 自筆証書遺言 | ・全文・日付・氏名を自分で手書きする(財産目録はパソコンで作成可能)。 ・保管場所は自宅のほか、法務局の保管制度も利用可能 ・費用を抑えられる一方、方式の不備で無効になるリスクも |
| 公正証書遺言 | ・公証人が作成し、公証役場で保管される ・公証人が本人確認と意思確認を行い、証人2人以上の立会いが必要 ・信頼性は高いものの、手数料と手間がかかる |
| 保管証書遺言 | ・パソコン等で作成した証書を法務局が保管し、保管官の前での口述によって本人確認を行う ・手書きの負担がなく、法務局で保管されるため紛失や改ざんの心配も抑えられる |
費用の目安
費用面では、自筆証書遺言をそのまま自宅で保管する場合は実質的に無料です。
法務局の遺言書保管制度を利用する場合でも、申請手数料は1通3,900円と負担は限定的です。
これに対し公正証書遺言は、財産の額に応じた公証人手数料がかかり、一般的なケースでも数万円程度になることが多く、専門家に文案作成を依頼すればさらに費用が上乗せされます。
保管証書遺言の手数料は今後定められますが、法務局が扱う制度である以上、公正証書遺言より抑えられる可能性があります。
遺言書の通知
現行の遺言書保管制度では、相続人の一人が法務局で遺言の内容を証明する書類の交付を受けると、法務局から他の相続人全員に対して「遺言書が保管されている」旨が通知される仕組みがあります。
つまり、法務局に預けておけば、遺言の存在が誰にも気づかれないまま相続が進んでしまう事態を防げるということです。
保管証書遺言も同じ保管制度の枠組みで運用されるため、同様の仕組みが働くと考えられます。
自宅にしまったまま発見されない、という自筆証書遺言のリスクを避けられる点は、大きな違いです。
「検認」が必要かどうか
見落としがちな違いが、家庭裁判所の検認手続きです。
自宅で保管していた自筆証書遺言は、相続が起きたあとに家庭裁判所で検認を受けなければならず、相続人にとって手間となります。
一方、公正証書遺言や、法務局の保管制度を利用した自筆証書遺言は検認が不要です。
保管証書遺言も法務局が保管する制度であるため、同様に検認は不要になると考えられます。
遺す側の手軽さだけでなく、遺された家族の負担という視点でも方式を比べてみてください。
いつから使える?施行スケジュール

もっとも気になるのが、実際にいつから使えるのかという点でしょう。
結論から言えば、保管証書遺言は今すぐには使えません。
今回の改正は項目ごとに施行時期が分かれており、下記の期限での施行が予定されています。
●押印要件の廃止・特別方式遺言のデジタル化:公布から1年以内(2027年6月24日まで)に施行
●成年後見制度の見直し:公布から2年6か月以内(2028年12月24日まで)に施行
●保管証書遺言の創設・遺言書保管制度の改正:公布から3年以内(2029年6月24日まで)に施行
保管証書遺言が使えるのは早くても数年先ですが、現時点でも、自筆証書遺言と公正証書遺言という選択肢があり、いずれも確実に有効な遺言を残せます。
遺言はいつでも書き直すことができるため、今の方式で作成しておき、新制度が始まってから作り直すことも可能です。
むしろ、判断能力があるうちに一度形にしておくことのほうが重要です。
保管証書遺言を作成するときの注意点
保管証書遺言に限らず、どの方式で遺言を作る場合でも共通して気をつけたい基本的なポイントがあります。
作成が手軽になるほど見落とされやすくなる部分でもあるので、あわせて押さえておきましょう。
不動産が財産に含まれる場合
遺言に不動産を記載する際は、登記事項証明書(登記簿)のとおりに、所在・地番・家屋番号を正確に書く必要があります。
普段使っている住所、つまり住居表示のまま書いてしまうと、いざ相続登記を行う段階で物件が特定できず、補正や追加書類の提出を求められることがあります。
これは現行の遺言でも起きているトラブルですが、今後さらに増える可能性があります。
手書きの負担がなくなり、専門家を介さず自分で遺言を作る人が増えれば、物件の表示を誤ったまま保管される遺言も比例して増えると考えられるからです。
いずれも登記事項証明書を取り寄せれば確認できますので、遺された家族の負担を減らすためにも、しっかりと準備しましょう。
内容の不足に気を付ける
保管証書遺言では、方式に沿って手続きを進める以上、形式面での無効リスクは大きく下がります。
ところが、遺言が争いの火種になるのは、形式ではなく遺言内容の不備や不足です。
たとえば、財産の一部しか書かれておらず残りについて結局は遺産分割協議が必要になるケース、誰がどの不動産を取得するのかが曖昧で解釈が割れるケース、相続人以外に財産を渡す内容なのに手続きの指定がないケースなどです。
遺言書をパソコンで手軽に作れるようになり、専門家の目を通さない遺言が増えれば、こうした内容面の不備はかえって表面化しやすくなります。
遺留分に注意する
配偶者や子などの相続人には、最低限保障される取り分があり、遺言でこれをゼロにすることはできません。
「全財産を長男に相続させる」と書いても、他の相続人から遺留分にあたる金銭の支払いを求められれば、応じる必要があります。
遺言を作る際は、遺留分に配慮した配分にしておくか、そうでない理由を付言事項として書き添えておくことが、争いを避ける現実的な工夫になります。
遺言執行者を決めておく
見落とされがちですが、遺言の内容を実際に実現する人、つまり遺言執行者を指定しておくことも重要です。
指定がないと、不動産の名義変更や預貯金の解約に相続人全員の協力が必要となり、手続きが滞ることがあります。
形式が整うことと、遺言が機能することは別問題です。
内容に不安があれば、一度専門家に確認してもらうと安心です。
まとめ

デジタル遺言(保管証書遺言)は、手書きの負担なく遺言を作れ、法務局の保管によって紛失や改ざんの心配もない、これまでの弱点を補う制度です。
検認が不要で、費用も公正証書より抑えられる見込みという点も、使いやすさにつながります。
ただし、実際に利用できるのは早くても2029年ごろで、電子署名の方法など細部はこれから政省令で定められます。
「作成」はデジタルで完結しても、法務局への保管申請と口述は必要で、完全に自宅だけで終わるわけではない点も押さえておきたいところです。
また、制度が新しくなると聞くと、つい「もう少し待ってからにしよう」と考えたくなります。
けれど遺言に関しては、その先送りがいちばんのリスクです。
保管証書遺言が使えるようになるのは数年先であり、その間に何が起こるかは誰にも分かりません。
大切なのは、どの方式を使うかではなく、自分の意思をきちんと形にして遺すことです。
新しい選択肢の登場は前向きなニュースですが、まずは制度の全体像を正しくつかんでおくことが大切です。
施行の時期や手続きの詳細が固まってきたら、あらためて確認していきましょう。
